1.萩へ 実はこの旅、かなり長い自動車旅行の一部分でございます。 題して西日本スナフキンツアー。まったく、いいご身分だぁよ私。 古巣岡山で友人を訪ね歩いた後、萩に向けて出発。 なんとなく東日本にいると感覚がボケてきていて、岡山から萩なんてついでだぁって勢いだったけど、日本海側の萩には、300キロ近く高速に乗り、それからさらに地道で日本海側に抜けなくてはなりません。 萩って、行きにくい場所なんですよね。 毛利藩は山口に城を立てたかったのに、反乱を恐れた幕府が交通の便のわざわざ悪い萩に築城させたという話に、至極納得させられる道中でした。 |
2.松陰記念館 |
像は右から高杉晋作、吉田松陰、久坂玄端
3.明倫館 かつて高杉晋作も通った藩校明倫館は現在小学校になっています。 車から見るだけにしようかとも思っていたのですが、つい少し行き過ぎた公園に車を停車。 山県有朋卿の巨大な騎馬像がありました。オッス、狂介!(←不敬) ついに踏んだ萩の地。私の足は興奮のせいか少しガクガク。 そんな時は…走れ!銘倫小学校までダッシュ。(←ばか) 明倫館の建物は現在も学校施設として使われているため中は見ることはできませんが、外は自由に見てよいとのこと。騎馬の水練に使用されていた池、吉田松陰や村田清風の講義の記念碑などがあります。ここは学校全体が文化財なんです。 凄いなぁ。 ここで学ぶ子供達の、よい自負心に結びついてくれるといいな。 |
明倫館
4.木戸孝允旧宅 ここまで来たら車を停め直すのも面倒だ、ということでそのまま中心部へ歩きます。 玉木病院前の細い道を抜けると、細い路地と白壁の建物が続く、目の前に城下町の風情が飛び込んで来ました。 そこが江戸屋横町。木戸孝允旧宅は北に登ってすぐのところにあります。 身分ある武家らしいしっかりした建物でした。 気になったのはあれです、 「新撰組!」の宣伝パネルが家の中いたるところに。 いやその、それだって資金にはなるんだろうけどさ。桂小五郎もでてたけどさ。 なんかその、あれだけ追いかけまわされた人達のドラマのパネルがやたらあるのって…どうなのさ? |
江戸屋横町
5.高杉晋作旧宅 江戸屋横町からほんの二筋向こうが、高杉家のある菊屋横町。 通りの中程に、高杉晋作生家があります。 高杉晋作の和歌、「西へ行く人を慕いて東行く…」の碑や、産湯を使った井戸が公開されています。 極楽のある西へ行きたかった西行。逆へ行くと決めてしまった、かの人の心の底や如何? ちょうど入った時 、観光客が誰もいなくなりまして。一人で穴の空くほどみつめてやりました。 |
高杉晋作生家入り口と歌碑
6.円政寺 昼食をとってお腹が膨れたら、円政寺を見忘れていることに気がつきました。少し戻って、江戸屋横町へ。 こちらは高杉晋作や伊藤博文が小さいころ遊んでいたというお寺。 高杉晋作が物恐れしない子になるよう、小さいころから見せられていた巨大な天狗の面で有名です。 それほど大きくはない境内は素朴で美しくて、着物を来た昔の子供が、ぱたぱたとかけていく幻が見えるような気がしました。 お寺のお堂と神社のお社があり、はっきり神仏混交が残っているのが珍しくて嬉しい処です。 |
円政寺入り口と天狗の面
7. 萩城跡 お次は1キロ程離れた萩城へ。散歩にはちょうどいい距離ですが、気がつくと時間はあまりありません。 そんな時は…走れ!(←ばか) 小走りながら、道の両サイドは石垣だし、萩焼きの窯が沢山あるし、ほんと、いい風情。 初代藩主毛利輝元公の像に迎えられ、萩城跡に到着しました。お掘の中は落ち着いた公園になっています。 黄色い花が沢山咲いていました。それが石蕗(ツワブキ)だと知ったのは帰ってから。 天守閣跡は石垣だけが残っていて寂しい景色です。頭の中に「荒城の月」が流れだしました。 天守閣の再建計画があるという話も聞きますが、私にはこの寂しさもそれ自体、美しくて。 石垣に登って辺りを見渡すと、遅い紅葉で色づき始めた背後の指月山が空に映えておりました。 |
萩城天守閣跡
8.松陰神社 |
松下村塾
松陰神社を最後に萩を跡にしまして、宿泊予定の下関に向かいました。 |